satonekoのブログ

動物や社会情勢。

第十六章「心の傷」

幸せとは何なのか?私自身、今幸せかどうか問われたら、はっきり幸せですと答えられる。幸せとは掴むモノではなく、感じるモノ。お金を手にすればとか、物をたくさん買えばとか、これらは一時の欲望であり、幸せって心から言えるモノではないと、私は思い感じる。幸せとは、何処か生き甲斐の鏡みたいなモノで、私自身、日々感謝の気持ちを忘れないよう心掛けている。それは、幸せになりたいが故にだけ捕らわれているモノではない。私自身としては、何か生き甲斐を見つけ、その生き甲斐が少しでも誰か様の光となることが、一番幸せと言える時でもある。幸せは、人を羨ましく思う事じゃない。ここでもやはり人として、心から誰か様のお力になっているか。真っ直ぐ手を差し伸べられているかが「幸せ」を感じられる鍵となって来ること。ここで私の言葉を一つ

「二人寄り添う愛よりも

一人想い続ける愛こそが

本物の愛かもしれない」

意味合いは、二人重なる心はすれ違う事もある。心重なり幸せと思う時もある。長く続かないのは、愛の信念。一人想い続ける事は、誰かがいて、私がいて成り立つ事。二人になれば、欲望になり、一方、一人では愛を知り、愛を愛する事。だからこその言葉。今恋人を殺すなどよくニュースを見る事が多い。何故そういった事が起きるかは、「欲望のわがまま」なんだと、私は思っている。私自身としても、これから先、若い方を中心に、何処か心の場所を作り、直にいろいろな話をさせていただきたいと思い感じる所存だ。愛とは不思議なモノで、傷ついても傷ついても人を愛したくはなる。我々人間が注意しないといけない事がある。何でもラインがあること。そのラインを越えたら、人はただの欲望と化す。ラインを守る事が重要だ。好きな人が出来たけど、振られる事に、今の社会は厳しいから、一度断られたら、なにか違う、相手に何かあるんだろうなと思い、一線を自分の中で作り、男として一線のラインを引くことで、男らしくなっていくのじゃないかと思う。何でも人としてのラインを守る事が重要だ。

 

吉村聡志